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最高裁判所第二小法廷 昭和54年(オ)1134号 判決

上告人

株式会社 明和

右代表者

松岡國雄

右訴訟代理人

尾崎陞

外三名

被上告人

中央信託銀行株式会社

右代表者

福田久男

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人尾崎陞、同鍜治利秀、同内藤雅義、同渡辺春己の上告理由第一点について

支払銀行に対し手形の不渡異議申立手続を委託した手形債務者から異議申立提供金に見合う資金として支払銀行に交付された異議申立預託金及び右申立提供金が、特定の手形債権の支払を担保してその信用を維持する目的のもとに提供されるものでなく、支払拒絶事由の不存在が確定したときに手形債権者に対する支払に充てられるべきものとする趣旨を当然に含めて預託されるものでもないこと、したがつて、手形債権者は、右提供金ないし預託金又はこれらの返還請求権について、自己の債権の優先弁済に充てられるべきことを主張しうる地位を当然に有するものではないから、支払銀行の手形債務者に対する預託金返還債務を手形債権者との関係で他の一般債務と区別し、支払銀行が手形債務者に対して有する反対債権をもつて右預託金返還債務と相殺することが、手形債権者との関係から制限されるものと解すべき理由がないことは、当裁判所の累次の判例とするところである(最高裁昭和四三年(オ)第七七八号同四五年六月一八日第一小法廷判決・民集二四巻六号五二七頁、同昭和四五年(オ)第一二五号同四五年一〇月二三日第二小法廷判決・裁判集一〇一号一五五頁等)。してみれば、原審の確定した事実関係のもとにおいては、被上告人は、本件預託金返還請求権の転付を受けた上告人からの支払請求に対し、被上告人の訴外四谷産業株式会社に対して有する準消費貸借上の債権を自働債権とする相殺をもつて対抗することができるものと解すべきであり、右相殺が所論の理由によつて許されず、無効であるとか又は相殺権の濫用であるなどと解することはできないものといわなければならず(上告人が上告理由第二点において主張するところについては後記の判断に譲る。)、これと同旨の原判決に所論の違法はない。また、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。

同第二点について

民訴法第七四八条、六〇九条に基づき第三債務者が執行機関としての仮差押裁判所に対してする陳述が事実の報告たる性質を有するにすぎないものであり、右陳述において、第三債務者が被差押債権の存在を認めて支払の意思を表明し、将来において相殺する意思がある旨を表明しなかつたとしても、これによつて債務の承認あるいは抗弁権の喪失というような実体上の効果を生ずることがなく、その後、第三債務者において当該債権につき、これを受働債権として相殺に供すること又は時効により消滅したこと等を主張することを妨げるものではないとの原審の判断は、正当として是認することができる。したがつて、原審の確定した事実関係のもとにおいて、被上告人がした相殺の意思表示が仮差押債権者である上告人との関係において禁反言の法理により許されない旨の上告人の主張を排斥した原審の判断は正当であり、また、被上告人が右仮差押後直ちに債務者である訴外四谷産業株式会社に対する期限の利益喪失約款に基づく権利行使をせず、自働債権として相殺に供した手形債権にかかる手形について書換えをしたことが所論の相殺期待権を放棄したものということはできないとした原審の判断もまた相当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(塚本重頼 栗本一夫 木下忠良 鹽野宜慶 宮崎梧一)

上告代理人尾崎陞、同鍜治利秀、同内藤雅義、同渡辺春己の上告理由

第一点 法令違背(その一)

手形債権者が預託金返還請求権の仮差押をなした後に、右預託金返還請求権を受働債権とする相殺は、無効ないしは、権利濫用として許されないと解すべきであり、原判決には、この点に関する法令の解釈適用を誤つた法令違背がある。

一、預託金は手形振出人がいわゆる一号不渡による不渡処分を免れるため支払銀行が手形交換所(銀行協会)宛に(異議申立)提供金を提供する際に、この引当として手形振出人が支払銀行に預託するものであり、その返還請求権の履行期は、提供金が交換所から支払銀行に返還された時であるとされる。

最高裁第一小法廷の昭和四五年六月一八日の判決は、預託金及び提供金は特定の手形債権の支払に充てられる趣旨ではないから、一般の債権と区別して相殺が制限されると解すべき理由は存しないと判示するものがある。しかし右判決はまず第一に、手形債権と預託金及び提供金との関係に対する理解を欠いているばかりでなく。第二に預託金と提供金との相互関係に対する理解をも欠いていると言わなければならない。

(一) 手形債権と預託金、提供金との関係。

(1) 預託金及び提供金は特定の手形債権との間に密接な関係を有する。このことは、当該手形の不渡処分を避けるために提供金及び預託金が提供、預託されるということのほか提供金の返還事由(=預託金返還請求権の履行期)を考えれば理解できるであろう。

提供金の返還事由には次の六つがある。

(イ) 不渡事故が解消し、持出銀行から交換所に対し(不渡事故解消届)が出された場合、

(ロ) 当該手形の支払義務がないことが裁判上(和解を含む)確定した場合、

(ハ) 不渡処分止むなしとして異議申立の取下げ請求のあつた場合、

(ニ) 別口の不渡りにより取引停止処分に付された場合、

(ホ) 異議申立てをした日から2年を経過した場合、

(ヘ) 支払義務者が死亡した場合、

通常は(イ)、(ロ)であり、これが当該手形債権と密接な関係を有することは明らかである。とりわけ(イ)の事由は、持出銀行即ち手形債権者が提供金及び預託金を返還しても良いという意思を表明した場合を意味し、前記判例のように、「手形金支払拒絶事由の不存在が確定したときは、手形債権の支払に充てられる趣旨ではない」と単純にいうことはできないのである。手形債権者が支払も受けられないのに不渡事故解消届を出すはずもなく、例えば(イ)の事由中には手形債権者が転付命令を得た場合を含むが(即ち、手形債権者が預託金の返還を受けられるため事故解消届を出すことになる。)手形債権者以外の振出人の債権者が預託金返還請求権につき転付命令を得ても預託金の支払を受けられないのである。このような事情があるからこそ、手形債権者にとつて預託金は担保的機能を有するのであり、抵当権における物上代位のような意味をもつて仮差押をなすのである。右のような預託金の機能を考えるときは、仮差押をなした手形債権者に対する関係では、相殺が制限されると解するのが相当なのである。

(2) また、相殺を許すことは以下のような不都合不合理を生じる。

(イ) 例えば、手形債権者が転付命令を得て不渡事故解消届を出した場合に、預託金返還請求権を受働債権として支払銀行によつて相殺がなされることがあるが、この場合、提供金が返還されるのは不渡事故が解消したとして手形債権者が持出銀行を通じて事故解消届を出したためであるのに、これが相殺されるということは手形債権者が満足を得ず、従つて不渡事故解消という事実は結局なかつたということになるのである。

(ロ) また、提供金及び預託金が取引停止処分によつて返還される場合についても、相殺によつて預託金が支払銀行に対する債務の弁済にあてられたということは、結局は異議申立提供金の提供は、当該手形の支払の資力があることの証拠にはならなかつたということであり、提供金を提供した当時支払資力ありとして不渡処分を受けなかつたのであるから、その預託金について保全措置を講じた以上当該手形の支払にあてられるべきものなのである。

(3) 以上のとおり、提供金及び預託金の性格からも、相殺を許すときの不合理性から考えても、手形債権者に対する関係では、相殺が制限されると解すべきことは当然である。

(二) 預託金と提供金との関係

(1) ところで、預託金返還請求権が受働債権とされるのは、預託金が支払銀行に預託されるためである。不渡処分を免れるため資力があるという証明のため異議申立提供金を提供するのであり、又、不渡処分をなすのは支払銀行ではなく銀行協会=手形交換所である。だとすれば、本来手形債務者が直接交換所に提供すれば良いはずなのである。

(2) ところが手形交換所規則により、加盟銀行しか「異議申立提供金」を提供できず、手形債務者が支払銀行に預託金を預託せざるを得ないという仕組になつている。

このため、不渡処分とりわけ取引停止処分が社会経済的には「倒産」と呼ばれ、手形債権者にとつて死命を制する経済的制裁であるが、この最もきびしい経済的制裁を免れるための唯一の経路を預託金という形で支払銀行を通らざるを得ないようにしておきながら、そこを通る資金は、支払銀行だけが相殺によつて優先弁済を受けるというのは不合理である。

(3) このような不合理が生ずるのは、前記のとおり手形交換所規則によつて加盟銀行しか提供金を提供できないという事情によるのであるが、そこでひるがえつて考えてみると、手形交換規則というのは、銀行協会加盟銀行による自治的規則にしか過ぎないということである。このように金融機関の自治的規則によつて金融機関の利益が守られているという不合理性を看過することはできない。

(4) 本来提供金及び不渡処分の制度目的から言つて、手形債務者が交換所宛に直接提供金を提供すれば良いはずであるのに、加盟銀行の自治的規則にしか過ぎない交換所規則により預託金が提供金の引当として預託されていること、その反面金額、履行期等からみて完全な同一性が保たれていること等を考えれば手形債務者が直渉交換所に提供金を提供した場合と同様に預託金を受働債権とする相殺は許されないと解すべきである。

相殺を許すことは、一方で金員を提供(預託金=提供金)することを強要し、他方実質上手形債務者の第三債務者(交換所)の債権(提供金)上に質権を設定することを強要して、もしこれに応じなければ不渡処分に付するというに等しく、このようなことがあるとすれば独禁法一九条に違反することは明らかであるばかりでなく、法の下の平等を定めた憲法第一四条の趣旨にも反することになる。だとすれば相殺は許されないと解するのがごく自然の理であると言わなければならない。

二、右で述べたとおり、預託金を受働債権とすること自体不合理であると解すべきであるが、少くとも前記(一)で述べた手形債権との関係からみれば、手形債権者が、仮差押をなした後に預託金返還請求権を受働債権とする相殺は信義則上許されず、権利濫用であると解すべきである。

第二点 法令違背(その二)

上告人を債権者とする本件預託金返還請求権債権仮差押申請事件において、第三債務者たる被上告人が陳述書をもつて「債権の存在を認める。債権者より返還請求があれば支払をする」旨の陳述をなし、しかも、被上告人が右仮差押後直ちに債務者たる四谷産業に対する期限の利益喪失約款に基づく権利行使をすることなく、むしろ自働債権として相殺に供した手形債権に係る手形について書換をしたことは、相殺権の放棄と解すべきであり、その後の相殺は禁反言の法理に反して許されない。

原判決には、この点に関する法令の解釈、適用を誤つた法令違背がある。

一、本件は、結局手形債務者である訴外四谷産業(株)の無資力の危険を上告人、被上告人のいずれが負担すべきかという問題である。

民法五一一条は、受働債権(仮)差押後に、第三債務者が取得した反対債権によつて第三債務者が相殺することを禁じている。これは、受働債権の(仮)差押を前提として、反対債権を取得する以上、反対債権の回収に伴う危険は第三債務者自らが負担すべきであり、受働債権との相殺によつて反対債権を回収してはならないとされているからに他ならない。そして相殺と差押との関係についていわゆる無制限説をとつたとされる最高裁昭和四五年六月二四日の大法廷判決も、銀行取引において取引上弁済期の前後などは偶然にきまるという実情から、相殺予約の第三者効を認めることによつて銀行の相殺に対する期待権の保護をはかつたものと解されており、相殺予約を行使せずに受働債権の弁済期が先に到来した場合には、受働債権の取立は制限されないのであつて、この点から考えても、差押を受けた当時に、第三債務者がどのような判断、行動をしたかは、相殺の効力を判断するに当つてきわめて重要な意味を持つのである。

二、ところで被上告人は、本件(仮)差押の第三債務者の陳述命令に対し、「債権の存在を認める。債権者より返還請求があれば支払をする」旨の陳述を行つた上、反対債権である貸付債権の支払のために振出交付された約束手形の書替を行つている。

(一) 乙第一一号証(相殺通知並びに催告書)によると、自働債権として表示されている債権のうち、二乃至五の手形債権合計金一三〇、〇六〇、五三九円は、本件差押後に振出されたものであり、他方同号証に受働債権として表示されている債権のうち、異議申立預託金返還請求権は、合計一五、〇四四、〇〇〇円である。

右約束手形債権の全てが、従前の貸付債権の支払のために振出交付を受けた手形の書替によるものであるか、あるいは、一部は新たな貸付債権の支払のために振出交付を受けたものであるかは必ずしも明らかではない。

しかし、仮に前者であるとしても(仮)差押を受けた際に、自働債権については仮差押を受けた預託金と相当額においてのみ期限の利益を喪失させ、他方受働債権についても期限の利益を放棄して相殺をなしえたはずである(これをなしうることは、原判決事実摘示三、6より明らか。なお、異議申立提供金には利息を付さない――乙三号証番八一条第三項――ので期限の利益を放棄することによつて、被上告人に不利益はない)。

(二) しかるに被上告人は、このような相殺をなさずに右のような陳述書を提出したばかりか、何ら債権を回収することなく、手形をむしろ書替えているのである。右のような被上告人の行為は、仮差押を受けた際、預託金返還請求権と相殺することによつて貸付債権を回収しなくとも、その他の方法によつて十分貸付債権を回収しうる、即ち、四谷産業の無資力の危険は、被上告人の危険において負担するという判断の下になされたものと言わなければならない。これは結局、前述の受働債権(仮)差押後に、反対債権を取得する際の判断と何ら異なるところはない。しかもその判断は、四谷産業の取引銀行として十分な調査の上になされたはずである。

(三) 他方、上告人は本件手形の被裏書人として四谷産業との関係からいえば、いわば純粋な第三者であるばかりでなく、わざわざ仮差押を行い、その上で被上告人の右陳述により、四谷産業(株)の資力について何らの不安を抱かなくなり、債権回収の合理的期待を抱くに至つているのである。

(四) この点で最高裁昭和三九年一二月二三日の大法廷判決において、昭和四五年の前記大法廷判決と同意見をとつた山田裁判官が少数意見中に、

「(民訴六〇九条による)差押債権者に対する催告に対して第三債務者は自分は相殺権を有するとか……種々対抗しうべき事由を回答することにより……差押債権者においても空の債権を差押えることの危険を免れる」

と述べていることはきわめて示唆的である。

(五) そして又、既に詳述した如く、仮差押自体が四谷産業の無資力の危険を回答するための財産保全手続であり、それが一旦成功(空振りに終らず)したのにもかかわらず被上告人の無資力ならいざ知らず、後の四谷産業の倒産という事情によつてくつがえされるのは、仮差押制度自体の趣旨を没却するものであるといわなければならない。

(六) さらに、上告人は前記陳述書により本件預託金の支払を受けられるものと信じ、また、昭和五〇年七月一日付の被上告人の上告人に対する相殺通知書(乙第六号証)に記載された反対債権も右仮差押後に被上告人が取得した債権であつたため、上告人は、右相殺が上告人に対抗しえないものと考え、債権保全の手続をとらず、本件預託金返還請求権以外四谷産業に対する債権回収の途を失つた。

三、原判決は、これらの点を全く考慮せず、第三債務者の陳述が執行機関としての仮差押裁判所に対する事実の報告であるとの理由をもつて、その後、第三債務者において相殺を主張することまで妨げられるものではないとしている。しかしながら陳述命令に対する回答は、差押債権者をして、その債権差押によつて執行の実質的目的を達し得るか否かの判断資料を得させることを目的としている。とすれば陳述命令に対する回答において相殺の意思(将来でも良いが)ある旨の陳述をしないで、その後相殺によつて被差押債権を消滅せしめることは、陳述命令に対する回答の存在価値を著しく減少させ、差押債権者は、とうていこれに依拠できなくなる。

無制限説をとつたとされる前記最高裁判決によつて、銀行の利益の保護を徹底した以上、反面において差押債権者の利益擁護のため、適確な判断の上で、陳述命令に対する回答をなすべき義務が銀行にあるとしなければ、著しい不公平を生ずることは明らかであろう。

四、このように考えると、被告人が四谷産業の倒産=無資力の危険を負担すべきことは、民法五一一条の趣旨から言つても、公平の原則から言つても、取引安全保護の趣旨から言つても、仮差押制度の趣旨から言つても、更には、陳述命令に対する回答の趣旨から言つても、当然のことと言わなければならない。

よつて、原判決には、この点に関する法令の解釈、適用を誤つた法令の違背があり、破棄を免れない。

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